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【大蛇堂】大サイズ掛け軸3 甲斐駒遊戯図

¥17,096 税込

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2022年5月8日 18:00 に販売終了しました

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作品名:大サイズ掛け軸3 甲斐駒遊戯図
作家:大蛇堂
サイズ:50×80(cm)程度
★この掛け軸は大サイズ(約50 x 80 cm)の掛け軸です。収納袋が付属します。

【妖怪説明】
山梨を代表する甲斐の黒駒(烏駒)はじめ馬妖怪が集合!

・烏駒(山梨・笛吹市)
からすこま。山梨県の代表的な民話のひとつ。 天かける黒駒、甲斐の黒駒としても知られる。
県内に広く残る話だが、旧東八代郡御坂町の話が代表的。
聖徳太子が摂政になった際に各地から馬を差し出させた。数百頭にもなったが、その中でも特にお気に入りになったのは甲斐から差し出された、全身が真っ黒に輝き足だけが白い「烏駒」とよばれる馬だった。
信頼していた家来に仕込ませたのちに太子がのってみると馬は雲に浮かび東方に走り去る。
3日後に戻ってきた太子は「雲をふんで霧をはらい、ただちに富士についた。そして信濃へも行った。風のように速い馬でまさしく神馬である」と言ったという。
御坂町には馬のひづめのあとと言われる「駒止石」があるという。
また、1500年ほど昔の雄略天皇13年に木工(大工の棟梁)の猪名部真根(いなべのまね)が不遜のため処刑されそうになるが、許しの使者が甲斐の黒駒にのり急いできたため助かる、というような話もある。

・天津速駒(山梨・北杜市)
旧北巨摩郡白州町に伝わる。読み不明。てんつそくこま?あまつはやがけ?
駒ケ岳には昔から天津速駒という勇敢な白馬が住んでいた。武甕槌(たけみかづち)の神の魂から生まれ両肩に銀の翼が生え空をかけ、夜は駒ケ岳の頂にきて寝るといわれ、それが山の名称になったという。
一説では聖徳太子が金蹄の黒駒に召されてこの山に降り給い、黒駒はここの谷水を飲んだ。
それでこの山からの水には神馬の精があり、飲んで育った駒は必ず霊馬になるといわれる。麓の水城地方に良馬を多く産したから山を駒ケ岳と呼び、郡名を巨摩郡と称したともいう。

・高尾の馬(山梨・南アルプス市)
旧中巨摩郡(現・南アルプス市)櫛形町に伝わる。
旧榊村の高尾の穂見神社では作物が取れたお礼としいて神馬を奉納する習わしがあった。ある年に豊作になり神馬を納めようとしたが、飼葉を用意できず困ってしまった。
運良くそこへ全国をまわっていた彫物名人の左甚五郎がきていたので、代わりに木彫りの白い馬を彫ってもらい納めた。
一件落着のはずが出来がよすぎて馬に精気がのりうつり毎晩抜け出して田畑を荒らしてしまった。そこでまた左甚五郎のところへ行き相談すると、今度は木彫りの端綱を掘って取り付けた。それからは木彫りの馬も抜け出すこともなく作物もよく実って人々の暮らしも豊かになったという。この話が高尾の穂見神社から東郡から富士山麓まで知れ渡り毎年11月30日から12月1日に行われる祭りには参拝者が集まり夜祭として賑わうようになった。
今も白い馬は穂見神社の境内にまつられている。

【都々逸】
「天馬翔けりし甲斐の山里 勇猛神馬の滾りなり」

【参考文献】
「山梨の伝説」山梨国語教育研究会編 /「ふるさと自慢シリーズⅧ甲斐路 ふるさとの民話と民謡」/「甲斐の伝説」土橋里木

大蛇堂の妖怪掛け軸はフルデジタルの複製画です。
収納時はコンパクトにしまえて、必要な時に飾れます。

大蛇堂の他作品/過去作品は以下リンクより閲覧/購入可能です。
https://otonokeenoke.base.ec/categories/451069

「宮城の妖怪展 弐」の販売作品です。

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